スペシャルストーリー:コマツのDNA

コマツのDNA 次世代の育成

地域社会の発展に貢献するというコマツ創業者の精神は、社員がコマツを退職した後、長い月日が流れても一人ひとりの心に宿り続け、更に周りの人々にもその影響は拡がってきました。
コマツ創業者の竹内明太郎は、今からおよそ100年前、自身が経営していた遊泉寺銅山の閉山に伴い、閉山後も地域住民が生活に困ることのないよう、石川県小松市に株式会社小松製作所(コマツ)を設立しました。明太郎は欧州諸国で目の当たりにした最先端の技術に触発され、地元の工業技術の発展とそれを実現することのできる人材の育成に注力していきました。

「竹内明太郎は、人材の育成を非常に重視していました」とコマツに42年間勤めた前田昭則さんは言います。「遊泉寺銅山がいずれ廃鉱となる将来を見据え、今後社会をどのように発展させていくべきで、そのためには、今何をすべきなのかということについて明確なビジョンを持っていました」
前田さんは2004年にコマツを退職した後、現在は、地域社会とともに子どもたちを育むことを目的としてコマツが設立した「こまつの杜」を訪れる子どもたちや家族に向けて、ボランティアで理科や自然環境について教えています。

前田さんも、そして講師を務める他の退職者のみなさんも、こうして地域の子どもたちの育成に取り組むとき、明太郎が持っていた人材育成のビジョンとのつながりを感じるのだといいます。

「子どもたちに教えながら自分たちも楽しむ。それが私たちのモットーです」
そう話すのは、2000年にコマツを退職した吉田晋さんです。吉田さんはこまつの杜の敷地内にある「げんき里山」で、自然について学んでもらう機会を子どもたちに提供しています。
吉田さんが所属する「みどりのこまつスクスク会」は、会員の年齢が65歳から93歳と幅広く、会員はみな家族ぐるみのお付き合いです。吉田さんの父もかつてコマツに勤めており、吉田さんの息子もまた現役の「コマツマン」です。
このようなコマツを中心とした親密な人間関係は、粟津工場や金沢工場、こまつの杜、コマツウェイ総合研修センターがある石川県では、ごく当たり前の光景です。

創業から100年近く経った今もなお、人を育てることに情熱を注いだ創業者、竹内明太郎の精神が脈々と受け継がれているのです。

「私たちはコマツとともに成長してきました」と、小松市串町内会長の川崎順次さんは言います。「地域と企業は、一緒に成長する。人材開発という観点からも、コマツ創業者の精神が脈々と引き継がれているのを実感します」
何世代にもわたって受け継がれる指針である「コマツウェイ」が示すとおり、技術開発と雇用創出を通じて持続可能な地域経済の発展に貢献することこそが創業者思想の中核を成しています。

コマツの重要な取引先、板尾鉄工所の社長である板尾昌之さんもコマツから多大な影響を受けた方の一人です。実は、板尾さんの祖父も父も、板尾鉄工所を創立する前はともにコマツの社員でした。
「コマツの大阪工場で3年間研修生として勤務したときには、先輩方から多くを学びました。コマツの人材教育に対する熱意はかなりのものだと思います」(板尾さん)
板尾さんが研修中に学んだ工程管理、生産技術、販売・生産管理といった教育内容は、板尾さんのその後の仕事の礎となったそうです。
当時、板尾さんとともに勤務していた同僚たちの中には、コマツの次世代を担う役割を果たす立場となった社員もいます。

板尾さんが板尾鉄工所を継いだ後も、当時の同僚たちとの付き合いは続いているようです。
「同時期に同じ研修を受けた同期や仕事仲間は、仕事に対する考えや哲学を共有できるとても大切な存在です」(板尾さん) これはコマツの「ものづくり」には欠かせない、重要な要素の一つです。ものづくりという言葉は通常は「製造」を意味する言葉ですが、コマツにおける「ものづくり」とは、社外パートナーも含むコマツグループ全体の英知を結集したチームワーク活動を意味します。

「いいものを作り続けるには先輩から学ぶのが一番です」
溶接技師としてコマツで50年間働いた中忠博さんは言います。中さんは現在、先輩から教わった溶接技術を地元の高校生に教えています。
「私がこの仕事を成し遂げられたのは、先代の先輩方の熱意のおかげです。先輩方はいつも「やる気がある者は仕事を覚えるのも早い。失敗を恐れるな。みんな失敗しながら現場で成長していくんだ」と口にしていました」(中さん)
かつて中さんが勤務していた粟津の溶接工場も、現在では技術発展によりいくつかの工程が機械によって自動化されています。しかし、長年にわたって積み上げられた知識は今もなお現場では欠かせないものです。
「今は昔と違ってロボットが仕事をしてくれます。しかし、基礎的な知識は今でも必要不可欠です。基礎を理解しているからこそ、最先端の技術も活用できるわけですから」(中さん)

45年間勤務したコマツを2009年に退職した織本耕治さんは、ものづくりの知識を広げたいという思いから、「こまつの杜」で子どもたちを対象に無料の理科教室を2011年から開始しました。開講するにあたって、20人の退職者仲間とともに、各自の得意分野を整理し、授業のカリキュラムを組みました。
授業が開催されているのは、コマツ本社を再現した「わくわくコマツ館」。この施設は2011年、創業90周年の記念として旧小松工場の跡地に建設されました。 2階には教室が、下の階には子ども博物館と遊び場が設けられています。

「ものづくりについて教えることを通して、品質と信頼性、そして職人魂について子どもたちに伝えています。いつか授業を受けた子どもたちがコマツで働いてくれたらうれしいですね」(織本さん)
小学校3年生から6年生の生徒たち、毎年約240名がこまつの杜の理科教室に参加しています。最近は5~6年生を対象とした上級クラスも追加しました。ここで講師を務める退職者の中には、ボランティアで年に8回ほど他の学校で教えているOBもいます。
2020年にプログラミングが小学校で必修化されるのを見据え、こまつの杜でも一足早くこれらの学習を取り入れようと、プログラミングについて子どもたちに楽しく学んでもらえる方法を模索し始めました。

講師陣は、生徒が自分たちでプログラミングして動かすことができるよう、コマツの油圧ショベルや鉱山用ダンプトラックで使用される基本モデルを用いて授業を実施。そしてその中にコマツの実際の製品につながる基礎教育を組み込みました。
かつてコマツの工場が建っていたこの場所で、未来を担う次の世代を育むことに、吉田さんは強いロマンを感じています。

「私たちの授業をきっかけにして、子どもたちが科学や自然に興味を持ち、それがいつか花開いてくれることを夢見ています」(吉田さん)